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うさぎは寂しいと死んでしまう。 そんなことを最初に言いだしたのは誰なのだろう。 「寂しいと死ぬというのは、『世話をせず放っておくと体調の変化や病気のサインに気づかず死なせてしまう』ということの曲解だと言われている」 うさぎはもともと捕食される動物だからな。 自然界で病気などの弱みを見せたら外敵の恰好の的になってしまう。 だから少々体調が悪くても限界までそれを表に出さない。 しかしうさぎのような完全草食動物というのは常に胃腸を動かしていないと腸内の悪性の細菌が活発に活動を始めてしまう。 まったく食べなくなると細菌が動き出し、激痛がうさぎを苦しめる。 そして、食べない時間が数時間続くと死んでしまう。 つまり、こまめに気にかけてやらねばならない。 だから「寂しいと死ぬ」などと言われるようになったのだろうな。 というデータマンの先輩の説明はいつもおれにとってわかりやすいもので、おれは感心ながら話を聞いた。 柳さんは、どこかの紳士の先輩とは違ってその人のレベルに合わせて噛み砕いて説明するのがとても上手だ。 「気づいた時は手遅れ、ということがよくある。うさぎは、とても繊細な生き物なんだ」 柳さんは動物が好きだ。 仁王先輩が子猫を拾った時は誰よりも目を輝かせていたし(目は見えなかったけど絶対そうだった)、 学校の野良猫に話しかけているところを何度か見かけたし、 散歩している犬が寄ってきたときなどとても嬉しそうに犬の頭を撫でている。 ただ、悲しいことに柳さんの家族は動物アレルギー持ちの人が多く動物を飼うことが出来ないらしい。 そういう柳さんも猫アレルギー持ちだ。 先日の、くしゃみを連発しながら、鼻声で涙目になりながらも仁王先輩の家の子猫と戯れている柳さんの姿におれは一種の感動を覚えた。 088:寂しそうなうさぎ 柳さんまではいかないかもしれないがおれも動物は好きだ。 だから小学生の時に生き物委員会に入って毎週火曜日にうさぎ当番をしていた。 おれの世話していたうさぎはミミという名前で、綿毛のようにふわふわで真っ白の可愛いうさぎだった。 うさぎ小屋の掃除をしてミミを開放している時は必ずと言っていいほど生徒が集まってきた。 しかし子どもと言うのは薄情なもので、可愛いうさぎと遊びたいという人は多くてもその可愛いうさぎの小屋を掃除したがる人は少なかった。 つまりうさぎ当番はとても人気がなかった。 うさぎ当番をサボる生徒が多かったのも事実だ。 うさぎは可愛いが、糞尿で小屋は汚いし夏場は臭いも酷いし、と敬遠されるのも仕方のないことだったが、それでもおれは一度もうさぎ当番をさぼったことなどなかった。 おれはミミが大好きだったし、それに、うさぎはさみしいと死んでしまうから。 命の尊さを教えるということで小学校ではよくうさぎが飼われている。 その名目の通り、ミミはおれに命の尊さと儚さをその身を持って教えてくれた。 夏休み中にも関わらずきちんと割り振られたうさぎ当番をしに学校を訪れた或る日、おれはがらんどうのうさぎ小屋を見つけた。 「せんせい、ミミは?」 うさぎ小屋の鍵を受け取るためにうさぎ当番は必ず職員室に行かなければならない。 生き物委員会の先生はおれを見ると少し目を丸くした後、切原くんはいつもちゃんとミミのお世話をしてくれてたね。と悲しそうに笑った。 夏休み中の学校にわざわざうさぎ当番のためだけに来るのはなかなか面倒なことではあったが、 それでもおれはミミの世話が嫌いじゃなかったし、今まで動物を飼ったことなどなかったし、何だかんだでおれはうさぎ当番の仕事が好きだった。 ミミが死んでしまったのはとても単純な理由だった。 生徒が、きちんと世話をしなかったから。 夏場の、ただでさえ暑い狭い小屋の中で、糞尿の片付けもされない不衛生な環境の中で、餌も水も与えられず、ただそこにミミはいたのだ。 誰もこない。食べるものもない。 そんな最悪な環境の中、ミミが病気になったのは当然のことだ。 生徒がサボった時は用務員のおじさんや先生が代わりに世話することがあるが、先生たちも忙しくて毎日学校に来れるわけではない。 先週、おれが綺麗に掃除をして餌と水を補充してから、その後、誰も世話をしなかったのだ。 先生がミミを見つけた時は既に手遅れで、動物病院に連れていかれたミミはその場で静かに息を引き取ったそうだ。 夏休み明けの委員会で先生は生徒にその話をした。 見つけた時の状況も、病院でのミミの様子も、ミミの死の様子も、先生はありありと伝えた。 その状況は頭の中に映像のように鮮明に思い浮かべることができた。 うさぎ小屋の中で綿毛の様に白いミミの毛は薄い茶色になっていて、一目で病気だということが、弱っているということがわかって、小屋の荒れ具合から全く世話がされていないことも一目でわかった。と先生は語った。 「あなたたちに、腹が立っています。本当は、話もしたくありません」 はっきりとした拒絶の言葉だった。 普段とても優しい先生だっただけに、その言葉は重く、とてもショックだった。 先生にこんなことを言われるなんて、思いもしなかった。 おれたちは、とりかえしのつかないことを、とても恐ろしいことをしてしまった。 ”死”というものを、とてもリアルに感じて、”生命”の価値というもの、重さというものを、思い知らされた気がした。 おれは、ちゃんとお世話をしたのに。 おまえらのせいだ。おまえらのせいで、ミミは死んだんだ。 先生の話をききながら、うさぎのように目を赤くして、おれは泣いた。 理不尽な死。生命の価値。命の責任。 それはおれにとってとても大きな出来事だった。 しばらく、うさぎは見たくないな、と思った。 うさぎは好きだし、ミミも好きだったし、今でもあの綿毛のように真っ白で柔らかい温かい感触とか 抱っこされるのが苦手で抱き上げると目を大きく開くこととか、レタスを食べるときに鼻先がひくひくと小さく動いてそれがとても可愛いこととか、おれはちゃんと覚えている。 しかしこれは、決して美しい思い出ではない。 ”うさぎは、寂しいと死んでしまう” だから、ミミは死んでしまったのだろうか。 誰も来なかったから。さみしかったから。 目の前の白い髪の先輩を見て、おれは懐かしい、その真っ白なうさぎを思い出したのだ。 真っ白なうさぎはちょうどこんな色をしていて、その柔らかそうな髪質は綿毛のようなあのうさぎによく似ていた。 「うさぎは、寂しいと死んでしまうって、本当なんですかね」 ぽつりと呟いたおれの言葉は、おれと仁王先輩しかいない部室に思ったよりちゃんと響いて、 気だるそうに机に肘をついて携帯を触っていた仁王先輩は顔を上げておれの方を見た。 「嘘じゃよ」 一言、それだけ言うと仁王先輩の目は再び携帯に向けられてしまった。 ああ、嘘だったんだ。うさぎは、寂しくても、死なないのか。 この時、おれは初めてそれが嘘だと言うことを知った。 なんじゃ赤也、そんなこと信じとったんか。てっきりそんな言葉が続くと思っていたのに、それっきり会話は打ち切られてしまった。 におー先輩、相手して下さいよ。おれ、つまんないんですけど。さみしいんですけど。 『さみしい』。ああ、でも、さみしくても、うさぎは死なないのか。 あの白いうさぎが死んでしまったのはさみしいからでも何でもなくて、ぜんぶ、自分たちの責任だったのか。 当たり前だ。あまり、思い出したくなかった。 白いうさぎ。白い髪の先輩。白い尾。柔らかくて、あたたかい。 狭い蒸し暑い小屋の中で、ミミはつらかったかなあ。苦しかったかなあ。痛かったかなあ。やっぱり、さみしかったのかなあ。 仁王先輩の白い髪を見ながら、そんなことを思った。 |